無料ホームページ ブログ(blog)

ギャラリー 知的なターザン
プロフィール

知的なターザン

Author:知的なターザン
知的なターザンのギャラリーにようこそ

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ギャラリー 知的なターザン
絵や写真をお楽しみください
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(5)
[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
宇宙はその始原において、必然の状態でありました。  0か1かの規則性の高い状態、エンタルピーが0の状態であったのです。  しかしビッグバンののちは、まるでカオスの状態。  規則性のまったくみえない状態。  エンタルピーが爆発的の増大した状態となってゆきます。  しかし時間がたつにつれて、まったくのカオスと見えていた状態の中から、規則性のある部分があらわtれてきます。  

これは一見不思議なことですが、その後のカオス理論からは、しっかりと説明されるようになっています。  カオスの中には規則性の種が隠れているのです。  各々の部分はカオス的にふるまっています。  そのような状態だけを観察していたり分析したりしていると、まるで規則性がないように見えますが、もっともっと大きな広がりの中で、より多くのカオスの因子の相対的な動きを総合的に把握してみると、そこにある種の必然的に生じるであろう、規則性の種があることがわかってきます。  

つまり、偶然性の高い状態の中に、必然性の種が「存在しているということです。  無数の偶然性の相互のかかわりから必然的な結果があらわれてくるということですね。   有名なたとえ話ですが、ブラジルの奥地で1羽のちょうちょうが羽ばたくと、その結果として中国大陸でつむじ風が舞う(ちょっとちがいました?)というようなことです。

このような分析ができるようになるのには、私たちがコンピューターの理論を確立して、この機能を飛躍的に伸ばすまで、約200年が必要であったのですが。   


[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
チョポコさん、私たちは心について考えてみようということじゃなかったですか。  宇宙の起源の話に飛んでしまったようですが。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
すみません。   しかし、この宇宙の成り立ち、そして偶然と必然という考え方は、心の状態を考察するためにとても重要だとわかっているのです。  

ま、考えてみれば、私たちの心も結局は宇宙の一部分なんですから、似ている事情があったとしてもちっとも不思議なことはないということなんですが。




スポンサーサイト
近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(4)



[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
知性を問題にするときに、忘れてはならないのは、知性と心の関係です。  知性だけを議論していると、どうしても、人間とロボットの境目があいまいになってきます。  人間にとって、知性は習得すべき技術であって、目標はそれをいかに心の成長、熟成に役立てるかということだと考えています。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
それでは、しばらく、知性と関連させて、心の問題を論じてみてはどうでしょうか。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
賛成ですね。 やってみましょう。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
それではまず私から。  心は、知性とおおいに関連していますが、知性が脳の中に局在しているのに比べて、心は、脳だけにとどまらす、体全体に依拠しているものと考えられています。  で、知性と心の相互連絡の機能はどちらに属しているかと考えてみますと、これは後天的に培われる知性と人間が本質的に有している機能の融合によって、より高度にその機能が発揮されると考えています。  そしてこの相互の連絡というのは大変重要な課題であり、しっかり論じてみたいのです。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
心は、脳だけにとどまらす、体全体に依拠していると考えるのは、比較的新しい考え方で、昔は、心の機能もすべて頭の中にありといわれていましたよね。  私もチョポコさんと同様、心は、脳だけにとどまらす、体全体に依拠していると考える説に賛成です。  その説をもう少し詳しく解説しておいてくれませんか。









あじさい 2


あじさい 1


オンラインギャラリー表紙
                ニコンのオンラインギャラリーに参加しました。
  
            オンラインギャラリー表紙には下記からお願いいたします。
                    [絵画のギャラリー表紙]

          現在63枚をアップしてあります。  スライドショーでご鑑賞ください。




ニコンのオンラインギャラリーに参加しました
ニコンのオンラインギャラリーに参加しました。

画像の上でクリックすると、ニコンのオンラインギャラリーにジャンプします。  現在63枚の絵を展示しています。  スライドショーでご鑑賞ください。

sleep




近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(3)


[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
人類全体のシステムとして所有している知性って、何でしょう。  つまり、誰が所有しているのかと聞きたいのです。  どこにあるのかと聞きたいのです。   人類全体のシステムには無数の知識としての情報が蓄積されています。  その集合体としての全体は、人類全体の知性と呼ぶことはできませんね。  そこからなんらかのエッセンスを抜き出して、個人のなかに形を現わすものとして、知性が実体化するのです。  

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
抜き出す存在というのは、さまざまの媒体に記述されている知識の集合体よりもっと重要なものがあると思います。  それは、個々にさまざまの知性を実現させている、個人の集合体。  つまり、ひとつひとつのさまざまの知性の器としてのひとりひとりの集合体。  さまざまの媒体に記述されている知識の集合体と、ひとりひとりの集合体から、さまざまな知識、知恵を学び取り、そこからあらたな知性のエッセンスを創出する。  このような作用が、無限に繰り返されることから、知性が深化してゆくのだと考えられます。



近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(2)

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
私たちの知性というものを考えるに当たっては、人類全体のシステムとして所有している知性と、個人が生涯に獲得する知性の相互のフィードバックということを考えなければならないと思います。  

そのためには、人類全体のシステムとして所有している知性と個人の獲得する知性というものを、個別にしっかりとらえ、しかるべき後にその両者の相互作用、あるいは相互のフィードバックというものを考えなけらばならないと思います。

近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(1-b)
[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
私たちの対話から、ヒトの知性に関して話した部分を抜粋してまとめてみました。

我々の探索する知性とは、まず、自分自身のこと、宇宙の仕組み、成り立ちを理解する段階には到達していなければなりません。 プラス、それを、自分以外の存在に伝達する手段。 それもすぐ隣のヒトにではなく、遠く宇宙の果ての知的存在に伝える手段を持っている。

人類としての知性とか、或る生命体の共有している知性というものは、それによって作り出された技術、テクノロジーに大きく依存しています。 情報を自分の惑星外に伝達するテクノロジーだとか、微細の世界を認識する、たとえば、電子顕微鏡のような。 私は、この種のものは、知的能力、或いは遠隔的知覚能力という用語を使うべきだと思いますが、知性の一構成要素であることは間違いないでしょう。

私たちヒトが、音楽を聴いて旋律としてまとまった意味合いを理解するということは、脳に一瞬一瞬ストックされた、時間的に連続した情報を、解析してその意味合いを把握してゆく、すなわち時間軸の前後の情報の関連性から生じた意味合いを理解する作業であり、これは大変高度な情報処理能力だといえるのです。 ヒトが情報処理する上で、記憶する能力は、大変重要です。 言葉による理解や、意思疎通も同様な仕組みで行われます。 視覚による認識作用も同様のメカニズムです。 時間軸に沿って現れる情報を、一定単位の塊として理解するという能力は、知性の基礎能力と言っていいでしょう。 いいかえると、知性には、記憶する能力、超高速な意味検索の能力が必須であるということです。 勿論十分条件ではありませんが。

知性というのは、個人が社会から学び、みずからの創意、創造を加えて、生涯にわたって、琢磨しつづけ、そしてなんらかの形で、他に、また次の世代に伝えてゆく、きわめて個人的な属性の強い、しかも人類がより進んだなんらかの手段で共有化してゆくべきものとしてとらえたいのです。

知性は、豊富に持ち合わせている、実験や観測に基づいた、知識体系化された情報を駆使して、とんでもないナンセンスも考えながら、新しい文化の温床を作ってゆく。 

私たちは現在の超高速コンピューターが、知性をもっているとは認めていません。 ここにも、ヒトの知性とは何かのヒントが潜んでいるようです。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
ヒトの知性には、明らかに高度な認知能力、或いは認知能力を向上させるという要素がありますが、じゃあ認知してどうなるの?そこから何が創造されるの??ということが気になります。 ただ暇に任せて、座して認知ゲームだけをやっているような高等遊民はどこにむかっているのでしょうか???

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
知性というものを、個人が社会から学び、みずからの創意、創造を加えて、生涯にわたって、琢磨しつづけ、そしてなんらかの形で、他に、また次の世代に伝えてゆく、きわめて個人的な属性の強いと同時に、人類がより進んだなんらかの手段で共有化してゆくべきものとしてとらえましたよね。 全人類規模で共有されることが、究極の共有の形でしょうが、それには限りない時間が必要でしょう。 キリストの教え、釈迦の教えは数百年、数千年のスケールのものです。 伝達、拡散手段としては、きわめて原始的なものであったのは確かですが・・・。 

今私たちはインターネット、ブログというような共有化の有力な手段を手に入れています。 格段に、知性の伝達、情報拡散手段としては発達しているのです。 ただ、我々が価値あるものとして、どのようなものを共有すればいいのでしょう。 ここまで、伝達、情報拡散手段が発達した今、知性の旗手達の責任は、きわめて重要になってきたと思うのです。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
教育の現場では、知性が磨かれているはずですよね。 国語は、コミュニケーションの能力を向上させる科目でしょう。 数学は、ロジカルな思考能力を育成しているといえますよね。 基本的な知的能力の育成は、一応整っているでしょうか。 しかし、その先の教育は、基本的に職業人間の育成に集中しているように思われます。 知性を磨き、いかに自分の全人格を高め、次世代に何を伝えるべきか、というようなことを考えさせる教育がなされているとは思いません。 このあたりに、知性を考えるヒントが隠されているのではないでしょうか。

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
断片的な提案になってしまいますが、訓練されるべき知的能力のひとつとして、イメージコントロールの能力なんかは是非義務教育の場で取り上げてもらいたいですね。 

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD] 
心と体の関係なんかも、学問的には相当に解明されてきているわけですが、これなんかももっと義務教育の場で取り込むべきだと思います。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
自己分析をして、自分の心やからだの状況を把握しながら、しっかり自己コントロールするような能力も成長の早い段階で身につけさせたほうがいいでしょう。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD] 
幅広い層で、そのような能力が獲得されれば、時間とともに社会全体のあり方には、かならず変化が生じると思います。

 
BN体操体験記
みゆりん

近未来フィクション~銀河系外知的生命体探索クルー(1-a)

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
地球以外に、銀河系では知的生命体はいないということは、もうわかってしまいました。 そして、知的な信号を発信して、銀河系外からの知的な応答を待つというのは、300年も前からやってきましたが、まだなにも応答はありません。 何百年というのは宇宙時間で言えば、数十分の一秒にしかすぎないんだ、このプロジェクトは我々の世代を継いで完遂すべき、息のながいプロジェクトなんだといっていますが、なにか本音ではその言葉を信じていないっていうか、たとえば、もし反応があれば、なにをするかということは誰も考えていません。 どこかで、やっているということだけで満足してしまって、プロジェクト当初にあった知的な刺激とか、知的な興奮なんてものはクルー内のどこを見回しても感じられません。

私の提案は、原点に立ち返って、私たち地球上の知的存在は、どこまで必然であったのか、どこまで偶然の産物であるのかを、進化のあらゆるステップで検証してみたいのです。 もしきわめて偶然性の高い存在であるなら、その偶然性の高さだけ、地球以外での知的存在の確率は低いと考えていいはずです。 

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
面白い提案だと思います。 しかしブログワークショップは、往々にして枝分かれの議論が割り込みますよね。 それはOKですか???

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
おっしゃるとおりです。 そして枝分かれ大歓迎です。

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
では、早速。 知的存在ってなんなんでしょう。 いつも疑問に思ってました。 我々の探索する知性とは、まず、自分自身のこと、宇宙の仕組み、成り立ちを理解する段階には到達していなければなりませんよね。 プラス、それを、自分以外の存在に伝達する手段。 それもすぐ隣のヒトにではなく、遠く宇宙の果ての知的存在に伝える手段を持っていることが最低条件ということですね。 少なくとも私たちはその意味で知的存在と言っていいのでしょう。 しかし知性、知的存在、知的生命体にはもっと深い意味合いがあると思います。 ビッグバンから160億年の末、宇宙を認識できる存在が、この地球上だけだとしても登場したということは、人間の存在が、それだけ類まれな至高のものなのか、それとも宇宙そのものに本来内在する必然的な存在なのかを問題にしたいと思います。 

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
面白いですね。 宇宙には本源的に宇宙自身を認識したいと言う意思、「宇宙の意思」があるのだろうかということですか。 しかし結局、人間という存在の偶然・必然の問題にも関連付けていただいたようですね。

[userid=bs72551/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
395007さんの定義に限定すれば、人間は知的存在と言って間違いではないでしょう。 しかし、もっと幅広い定義で知性を理解する場合、我々人間は、本当に知的存在と自信をもって言えるのでしょうか。 つまり、知性を議論するなら、こちらの広い意味でもやっておくべきだと思います。

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
bs72551さんの発言賛成です。 今度は、はっきりテーマが枝分かれしたようですが、いいんじゃないですか。 がんがんやりましょう。

[userid=bs72551/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
知性という言葉にもうすこし、こだわらせてください。 今議論しているのは、人類としての知性とか、或る生命体の共有している知性というものだと思います。 しかもその定義の知性は、それによって作り出された技術、テクノロジーに大きく依存しています。 情報を自分の惑星外に伝達するテクノロジーだとか、微細の世界を認識する、たとえば、電子顕微鏡のような。 私は、この種のものは、知的能力、或いは遠隔的知覚能力という用語を使うべきだと思います。 

知性というのは、個人が社会から学び、みずからの創意、創造を加えて、生涯にわたって、琢磨しつづけ、そしてなんらかの形で、他に、また次の世代に伝えてゆく、きわめて個人的な属性の強い、しかも人類がより進んだなんらかの手段で共有化してゆくべきものとしてとらえたいのです。 ちょっと抽象的な議論になったかもしれませんが、これから、ゆっくり考えさせてください。 すくなくとも私たちには、十分時間があるはずですから。

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
宇宙が、知的存在を生み出すことによって、その知的存在の認知能力を通して、自己を認識しているというのはおもしろい見方だと思います。

我々知的存在は、微細構造としての素粒子の素性を知り、陽子・中性子・電子からなる原子を知り、原子からなる分子を知っているわけです。 そのような微細な世界での多重構造を知ると同時に、太陽系・銀河、さらに広がる宇宙、その宇宙の越し方、ビッグバンなどを認知しているのです。 

実は、地球上の生命体の自己認知も、宇宙が自己を認知するというのと似たパターンであることに気づきました。 地球上の生命体が、自己を認知・認識するためには、ヒトにある巨大化した脳・大きな未配線容量を持つ大脳皮質を生み出す必要があったのです。 そしてその意志を生命体の外部に顕在化させる能力(言葉や手)を操作しているのです。 そうすることで、ヒトは生命体の成り立ち、進化の越し方を、深く知りつつあるというわけです。

また知性の必然・偶然の問題に引き戻してしまったようですが・・・。

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
似たパターンというのは、重要なキーワードだと思います。 宇宙が本質的に持っているパターンがあると思うのです。 回転と、繰り返しです。 回転というパターンは、少し気をつけると、実に沢山あることが分かります。 太陽の周りを地球やそのほかの惑星がまわっています。 地球の周りを月、衛星が廻っています。 かたや、微細な世界では、陽子や中性子のまわりを、電子が廻っています。 もっと微小な素粒子にもスピンという回転の性質が観察されています。 じつは回転運動そのものに繰り返しの要素が含まれているんですが、同時に、微小粒子の回転によって、電磁波などの波動が発生します。 波動の基本的な特性は繰り返しです。 光、光波も繰り返しの波動です。 

ビッグバンのはじめから、大量の水素、ヘリウムが生み出されます。 同じものが多数ということは、繰り返しに他なりません。 

生物の世界でも、細胞分裂、遺伝子の複製の基本パターンはやはり繰り返しなのです。 

繰り返しという要素が存在することによって、宇宙に意味が発生するのではないでしょうか。 それが、知性を生み出す母体なのではないでしょうか。

[userid=bs72551/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
繰り返しというキーワードには、規則性というキーワードが隠れていると思います。

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
規則性には、重層性があると思います。

[userid=bs72551/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
??? おもしろそうですね。 分かりやすく説明してください。

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
たとえば、素粒子の繰り返し、規則性が重層的に存在することによって、原子のレベルでの繰り返し、規則性の世界が出来上がっているのです。 或る層の性質は、一段下の層の性質によって成り立っているのです。 この関係は、ずっと上まで続きます。 分子レベル、DNA、遺伝子などのレベル、たんぱく質、酵素、生物の存在、そして意識の存在、知性の存在と続いていくような気がします。 簡単に断定するつもりはありません。 おのおのにもっと具体的な検証を加えなければならないでしょう。 あくまで仮説の提起と受け取ってください。 395007さんのおっしゃったように私たちには時間は十分あります。 

[userid=395007/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
私たちのブログ、読みにくいようです。 内容は、しょうがないとしても、せめて、発言者のイメージが分かるように、ユーザーコードでなく、ハンドルネームで投稿したらどうでしょうか。 私のハンドルネーム「チョポコ」です。 どうぞお見知り置きを・・・・。

[userid=bs72551/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
いいんじゃないですか。 コードネームbs72551は、「山内」です。 よろしく。

[userid=2749/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
私はニックネーム使います。 「プレミオ」です。 よろしく。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
それでは、チョポコが続けます。

前の層とそれから一段うえのレベルで形成されている層とは全く種類が異なるように見えることがあり、そのため両層の深い関係が理解できないことがあります。 それどころかそういうケースの方が多いように思います。 たとえば、原子のレベルは、結構すっきりしています。 主要な登場人物は限られており、陽子、中性子、電子、もうひとつ湯川秀樹の発見した中間子(?)くらいです。 いかにも世界の究極の構成要素にふさわしい単純さを持ち合わせています。 

しかしご存知のように、その後の科学の進歩で、それらは究極の世界像ではないことがわかっています。 究極の粒子、究極の構成要素ではないことがわかっています。 原子から一層下の素粒子のレベルには、いくつ見つければ終わりになるかわからないほど、たくさんの、一見相互になんの関係もないような、無秩序・カオスとも見える世界像があらわれたのです。 いまだに多くの学者がその世界像を統一的に理解できる理論の構築に苦闘しているのです。

このような無秩序な層から、原子のシンプルな世界が構築されるということは、大変実感しづらい、理解困難なことですが、これは間違いない事実なのです。 これを、一体どういうふうに理解すればいいのでしょう。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
直接関連しあっているはずのふたつの層が、まったく異なる様相を持つことが多いとおっしゃってますが、もっと事例レビューしていただけるのでしょうね。 ただ、面白いのは、一方で、大変レベル的に幾層もはなれているところで、似たパターンが出るということもあるようですね。 なにか意味があるのでしょうか。 

私の言っている事実とは、前に事例として議論されたものですが、宇宙的尺度の次元で、太陽の周りを地球やそのほかの惑星がまわり、かたや、超微細な世界では、陽子や中性子のまわりを、電子が廻っていることを指しているのですが。

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
シュレジンガーは、宇宙の存在は、すべて理論上は、波動方程式で表現することが出来ると言っています。 波動の密集したところ、すなわちエネルギーの密集したところが、凝集して質量を持った物質として現れているのです。 波動というレベルと、物質というレベルは、見かけ上あまりにかけ離れているので、20世紀になってはじめて、その結びつきが理解され始めたわけです。 物質を消滅させることで、膨大なエネルギーが解放されることで、この真理は実証されたわけです。

これも、直接関連しあっているはずのふたつの層が、まったく異なる様相を持つことが多いという事例のひとつだと思います。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
直接関連しあっているはずのふたつの層が、まったく異なる様相を持つことが多いという事例の意味合いが大分はっきりしてきました。 私もひとつ事例を出しましょう。

コンピューターの世界では、あらゆる情報は、ゼロか1かの2進法の信号の組み合わせ(たとえば6ビットといえば、6個の信号の組み合わせ)と、その連続形で表現されます。 このきわめて単純な信号の積み重ねが、テレビ画像、音声として我々の前に現前するのは、いつも不思議でその二つの世界のあまりにも異なるイメージに、大きな戸惑いがあります。 単純な信号も、量的に膨大な集積がなされれば、それはまったく質の異なる外見で現れることがあるという事例として提出したい。 20世紀前半には、アナログの世界がありました。 これは、まだイメージしやすい。 これは波動の世界です。 音声も、映像(光)も、その本質は波動であり、それがたとえば、電磁波という波動に変換されるというのは、イメージ可能な関係です。 

この事例では、単純な0か1の信号の積み重ねが、波動の形に変換されて、それがさらに映像や、音声に変換されると考えると、イメージの連続性が出てきます。
 
[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
いままでの事例のなかで、はじめて、人のイメージ可能な連続性が説明されましたね。 これまであげた事例でも、類似のロジックを提示できるのでしょうか?

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
こう考えたらどうでしょうか。 宇宙は、その最微細なレベルは、量子の世界です。 量子のもつ信号は、あるかないか、ゼロか1かの信号なのです。 量子の世界の別の表現形が、波動であり、波動方程式なのです。 量子の種類はいっぱいありますが、その種類の数だけのビット数のセットで、量子の世界の一瞬を代表させます。 そのセットの連続形を、波動方程式に表現させます。 このイメージ化で、量子の世界と、現前する世界像を我々に理解可能なイメージのつながりで説明できたのではないでしょうか?

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
山内さん。 イエスです。 理解可能なイメージ化になっていると思います。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
私も同意見です。 

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
随分枝分かれしましたが、大分方向が見えてきたのでこの方向でもうすこし、議論を続けましょう。

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
ちょっと、補足させてください。 量子の世界のイメージから、波動の世界にまでつながれば、それは映像や音声にイメージをつなげますし、波動の凝集としての、現前する物質の世界をイメージできるということです。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
山内さん、確認させてください。 あなたの言っている量子というのは、究極の粒子、究極の構成要素である、 原子から一層下の素粒子のレベルのことですね?

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
そうです。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
そうすると、量子(素粒子群)と、私たちの目にする、現前する物質の世界の間に、原子、分子の世界が存在します。 この間もつなげてしまいましょう。 量子(素粒子群)が、自分に内在する繰り返しの性質で、凝集することで、原子核をつくります。 凝集して質量をもつことで、力場が生じます。 この力場によって、原子核の周りを電子が規則的な周回をはじめます。 こうして、原子の世界が成立します。 原子の世界に内在する規則性で、分子の世界が形成されます。 ここからは、現前する物質の世界のイメージにつないでもいいでしょう。

[userid=山内/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
チョポコさん、ありがとうございました。

userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
「凝集して質量をもつことで、力場が生じます。 この力場によって、原子核の周りを電子が規則的な周回をはじめます。 こうして、原子の世界が成立します。」というロジックは、そのまま、宇宙規模の構造のイメージにつながりそうですね。 

凝集で生じた、太陽の存在から力場、この場合は万有引力、あるいは重力場、が生じ、この周りを惑星が周回しています。 更に凝集のすすんだブラックホールの力場は、無数の星からなる巨大な銀河系を自分の周りに周回させていると、描けます。

[userid=プレミオ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
[コンピューターの世界では、あらゆる情報は、ゼロか1かの2進法の信号の組み合わせ(たとえば6ビットといえば、6個の信号の組み合わせ)と、その連続形で表現されます。 このきわめて単純な信号の積み重ねが、テレビ画像、音声として我々の前に現前する(関連したブログ)。] 信号のセットが、連続形で変化して行くということは、時間軸に沿って、情報が変動しているということです。 連続形に規則性があれば、それは、一種の波動ということです。 たとえ規則性はなくても時間軸の前後の情報に関連性があればそこに意味合いが生じます。

波動を認識するにも、前後の情報の関連性を認知するにも、コンピューターは、或る一瞬の情報を一旦メモリーにストックして、逐次蓄積される情報を逐次照合して意味合いを把握してゆくのです。 コンピューターがヒトに理解可能な映像や音声をアウトプットするということは、メモリー容量の爆発的な増大、情報処理能力の超高速化によってはじめて可能になったのです。 

私たちヒトが、音楽を聴いて旋律としてまとまった意味合いを理解するということは、脳に一瞬一瞬ストックされた、時間的に連続した情報を、解析してその意味合いを把握してゆく作業であり、これは大変高度な情報処理能力だといえるのです。 ヒトが情報処理する上で、記憶する能力は、大変重要です。 言葉による理解や、意思疎通も同様な仕組みで行われます。 視覚による認識作用も同様のメカニズムです。 時間軸に沿って現れる情報を、一定単位の塊として理解するという能力は、知性の基礎能力と言っていいでしょう。 いいかえると、知性には、記憶する能力、超高速な意味検索の能力が必須であるということです。 

ただしそれは知性の十分条件ではありません。 私たちは現在の超高速コンピューターが、知性をもっているとは認めていません。 ここにも、ヒトの知性とは何かのヒントが潜んでいるようです。

[userid=チョポコ/weblog-workshop/銀河系外知的生命体探索クルー/intra-weblog/ServletCMD]
プレミオさん、ちょっと話題をそらしてしまうかもしれませんが、面白い文献見つけました。 相対論的宇宙論 (佐藤文隆、松田卓也著 講談社ブルーバックス) 「 」内は引用。 

「ギリシアの哲学者や西欧中世のスコラ学者たちの考えの多くは、純粋に思弁的なもので、観測や実験を重視しない。 しかしその洞察力は今から見ても非常に鋭いものがある。 

彼らは現代のサラリーマン研究者とは違って、たぶん、インフレや買占めに心をわずらわされることなく、暇にまかせて、物事をトコトン考えることができたのであろう。 彼らは生産活動に組み込まれていない一種の高等遊民であるが、しかしそういった遊民が文化の温床を作る担い手になり得るのかもしれない。 文化を発展させるには余裕や暇も必要なのだろう。
 
ギリシアや西欧中世の学者は十分に思考したが、実験や観測に基づいた知識体系を持たなかった。 したがって、すぐれたアイデアもある反面、とんでもないナンセンスも考える。 中世のスコラ学者の間で議論された問題、「いったいピンの先で何人の天使がダンスできるか」などはその好例だろう。」

私たち、銀河系外知的生命体探索クルーブログチームは、高等遊民として、とんでもないナンセンスも考えながら、新しい文化の温床を作る担い手になり得るのではないでしょうか。 幸い、私たちは、十分な時間と同時に、ギリシアや西欧中世の学者と違って、実験や観測に基づいた、知識体系化された情報は豊富に持ち合わせています。




ときめきの数だけ、こころ年齢は若返ります

こころ年齢は、精神年齢とはすこし違います。 

こころ年齢は、測ることは出来ません。 というか、測る必要はありません。 それは私たちのこころ次第だからです。

私たちは、どんどん歳をとっていくと、いつのまにか、ときめきを忘れています。 ときめきの数だけ、こころ年齢は若返ります。

私たちのまわりの日にきらめくような美しい自然を目にして、ときめきを感じるでしょうか。 すばらしい音楽を耳にして、ときめきを感じているでしょうか。 

家族、知人と出会い、はなしをしているとき、その人たちのすばらしい(と想像します)人生を感じ取って、その人に出会ったことにときめきを感じるでしょうか。 はなしをしていて、ときめきを感じるでしょうか。

ときめきは、想像力に比例します。 見えないことに思いがいたって、そしてときめきがはじまるのです。 

もし、近頃、ときめきがないな。と思ったら、様々な場面で、想像力を使って、その場面、その人について、見えないものに思いをはせる練習をしてみましょう。 これは、新しく習得する技術ではありません。 自分が若いころに経験したことを思い出す練習なのです。




みゆきさんの恨み節・・・
中島みゆきの音楽もターザンのお気に入りです。 それにしても延々と、もてない女性の心情を歌いつづけるあの工ネルギーはどこから出てくるのか大変興味があります。 ユ二一クな音楽性を持っていることは否定できません。 それにあの独特の声音が組み合わさって、極めて感性豊かな音楽が出来上がっているのでしょう。 

陽水同様、優れたバックミュージックの貢献も大きいでしょう。 しかし陽水の場合と違ってみゆきの音楽性に刺激されて、バックが進化するという程の関係になっているとは思えません。 ただ、だからといってみゆきの音楽の質がひくいというつもりはありません。 独特の音楽世界を作りあげていることは間違いありません。 重要なことは、みゆきの歌いではじめてみゆきの独特の世界が成立することです。 音楽性の高さは違う歌手が歌ってもすばらしい曲になることでよくわかります。 しかしそれはみゆきの音楽とはまったく異なる雰囲気の音楽です。 

あの独特のメロディラインと独特の声音、独特の歌詞は、くせになります。 ターザンは今日も飽きることなく、みゆきを聴いています。 演歌よりはるかに演歌(音楽性の高い)であり、もう恨歌というしかないみゆきさんの歌は、そのままでは世界に通用しないかな・・・・失礼ながら少なくとも歌い手を変えなければ・・・。 恋のかなわぬ江戸時代の吉原遊女の世界につながったような、あの雰囲気は、日本人にさえ理解できればそれでいいのかも知れませんね。 みゆきさん、いつまでも恨み節を歌い続けてください。   5700



陽水の叙情、日本のモダニティ
この前図書館で、なにげなくピックアップした本、面白くて一気に読み終えました。 若い人たちには、すでに知名度の高い作家なんでしょうか。 元気なメルトモたち(女性)の愉快なお話です。 金子ありさの「Girls Garden」(扶桑社)です。 「おじさん、ふるいよ」という声が聞こえてきそうです。

そういえば、30年以上前、FMでユニークな歌を聴いて、一度にファンになって、会社の若い女性に話したら、「遅いですよ、その歌手もう有名で大ヒットとばしてますよ」、って言われました。 私の聴いた歌の題名が「かぶとむし」。 大ヒットというのが、「こころもよう」。 いわずと知れた井上陽水でありました。

そうです。 もう30年も前だと思います。 NHKのFMで、はじめて聴くようなインパクトのある音楽が耳にはいりました。 ただし、一般受けするようなものとはとても思えませんでした。 今でもそのうちのひとつを覚えていますが、かぶとむしというのがありました(その後コンサートのレパートリーには入っていないようですが)。 井上陽水です。 会社で、若い女性にたまたま、この話をしたら、あら、心模様というのが、今大ヒットしてますよ!と教えられた。 それ以来、陽水の音楽は聴き続けています。 その音楽としての先端性は、いつまでたってもすりへっていません。 その特徴ある声音に、限りない叙情性を感じます。 私の耳には陽水は、常に進化を続けているように思えます。 音楽の傾向が変わるたびに、ファンからは、色々意見があったようですが、音楽性はどんどん進化していると思います。 バックのミュージシャンの音楽性の高さも耳を引きますが、これは、陽水のメロディのもつ独創性がかれらを刺激している、お互いに刺激しあっている関係ではないかと思います。 時々テレビのドキュメンタリーに出てきますが、いつまでもある若々しさの雰囲気、そして独特のシャイネスが、ある種の色気を感じさせるくらいです。

世界に通用する音楽だと思います。 海外ではどう評価されているのでしょう。 寡聞にして、その辺の事情は知りませんが、彼自身そんなことには頓着していないのかも知れませんね。 いつまでも、私の陽水であってもらえるだけで満足です。 今日もひとりで、ハンサムボーイの世界に浸りました。


ターザンの横顔
スポーツ
ゴルフは一応趣味のひとつにいれてますが、このところ自慢できるのはキャリアのながさ(30年)だけという状態が続いています。 テニスは土日で一回は行くように心がけていますが、いつまで経っても余り強くならないので、社内の人たちとの手合わせはできるだけ避けるようにしています。

文化
音楽を住まいの装飾のように楽しんでいます。 家にいるときは、何をしていてもいつも音楽が鳴っているという感じです。 リラックスするための食物のような気がしています。 ジャンルは偏っていて、ピアノ・リュート・チェンバロ・チェロ等の室内楽、井上陽水、中島みゆき等を繰り返し鳴らしています。 最近はCDのノイズレスのおかげで、いらいらせず本当にリラックスできるのがありがたいです。 ピアノは娘を真似て独習しています。好きな曲(2-3曲だけ)を繰り返し弾いているので、家族のものに嫌な顔をされますが、指の運動と心得て我慢してもらっています。

酒、タバコなど
酒は楽しく飲めます。 たばこは吸ったことがありません。 (正確には10本程口先でふかした経験がありますが、うまさがわかる前にやめてしまいました)

好きな言葉
Think globally, act locally. この本意は、「世界的な視野で考え、行動に移すときは足元をみて地域的な立場で行動する」です。 仕事を進めるときに、立案段階では広く総合的な立場から考え、実施段階では逆に抽象的ではなく、着実に地についた行動をとるようにとの意味に捉え、私の行動指針としています。

健康法
独習でヨガをやっています。 昼休みに体育館で逆立ちのポーズ(ネール首相が日課にしていたことで有名)と、軽いウェートトレーニングを続けています。

一番大切にしているもの
人間には、意識・意欲の持ち方(勿論プラス努力)次第で、自分自身の中に変えられるものが結構沢山あるとの信念。

一番印象的な思い出
10年前に、友人と3人で琵琶湖マラソン旅行をしたこと。 半日に15キロ単位で走って、1日30キロ、3日で、合計90キロ走りました。 一周250キロのうち、景色のいいところを選んで走ったこともあり、苦しいことよりも走りながら眺めた景色が、よい思い出となっています。 特に竹生島、湖北の田園風景、余呉湖が印象的でした。

(1989年4月25日社内新聞より)

byc



バラの香りに包まれて心も体もリラックス! BN体操教室
バラの季節に、ヴェルニー公園で体操教室を開くことになりました。

バラの公園でBN体操

あなたの目の前にいる人々を大切にしなさい
マザーテレサの言葉

如何なる大海も一滴の水より成る。 「世界平和」の為に働こうとするな。 それより、自分のすぐ周りにいる人々を幸せにする様、最大の努力をしなさい。 世界中の人々が、皆その様に努力をすれば、平和は自ずと訪れる。 あなたの目の前にいる人々を大切にしなさい。
 
心に響く、とてもいい言葉です。 新潮選書 危険な脳はこうして作られる 吉成真由美 で見つけました。 92-93ページ

済みハス

幼児には、ピアノのふたが危ない
1歳過ぎの孫をピアノで遊ばせようと思ったんですが、ピアノの重いふたが心配で、ふたを固定するような用具を探してみました。 最近のピアノにはふたにダンパーがついているそうですが、旧来のピアノに取り付けるような部品は、楽器屋ではなさそうでした。 

いろいろとDOIT店を廻って、ちょうどいいのを見つけました。 ドアのラッチのようですが、写真のように、ピアノの肩口と、ふたの内側にセットで取り付けると、目立たないで、しっかり固定できました。 左右に取り付けたほうがいいでしょう。 早速孫をひざに座らせて、触らせたら大喜びでした。 案の定、楽譜置きにさっと手を伸ばしてふたを閉めようとしました。 ラッチのおかげで心配なく、思う存分遊ばせました。 

ただ、その後、孫は父親の転勤でマレーシアに行ってしまいました。 今度このラッチが役に立つのはいつだろうと思いながら、今日は久しぶりにブルグミュラーを練習してみました。

幼児が左右同時に操作できないように、ラッチは、必ず、左右両方につけましょう。 で、操作するところはなるべく見せないようにしましょう。 

最近の常識というか、ラッチは当然100円ショップで探しましょう。

ピアノ安全ラッチ

ピアノ安全ラッチ図




思わず笑ってしまったこと
さんまのトークショウ的なタイトルですが・・・・・

この前、ウォーキングの会に参加したとき。 桜も満開、天気も最高とあって、大方のみなさんデジカメをお持ちになっていらっしゃいました。 小型で便利なデジカメは、ウォーキングには、ちょうどいいですね。 

で、みなさん、お互いに撮り合っていたところ、おひとり、りっぱな一眼レフのフィルム式(こういう表現使うんでしょうか???)のカメラお持ちの方が「集合写真、このカメラでお願いします」・・・・・。 

頼まれた女性の方、手に取った時、思わず、「あら、これ本物のカメラだわ!!!」・・・。 みなさん、大笑いのうずでした。

わたし的には、もう、フィルム式には戻れません。 アルバムの整理が大変だったし、できのわるいのも焼付けせざるをえなかってがっかりしたり・・・。 今は、ひとに差し上げる以外は、やきつけしませんし。 人に差し上げるのも、メール添付のことが多いし。 なんといっても画像が格段によくなっているし・・・・・・・・・。

実はデジカメに移行する直前に、すごくいい自動の一眼レフ買っちゃったんです・・・。 すこししか使わないでお蔵入り。 今も引き出しの中に眠り続けています。

そういえば、LPからCDに移るときも、直前に最高のターンテーブル買っちゃったことありました。 そういえば、このときも泣いてました・・・・・・。   74

唇の水泡に効きますか? 紫雲膏、アクチビア軟膏
紫雲膏、確かに唇の水泡に効きます

先日のゴルフのときに、同行の方が、スタート前に紫色の軟膏のようなものを唇に塗っていらっしたので、お聞きしたら、紫雲膏という名前の軟膏だそうで、唇にできる水泡の予防に効くんだそうです。 紫外線が水泡のできる引き金になるそうで、その予防にいいんだそうです。 UVカットのリップクリームと併用するといいんだそうです。 実は、私も年に何回か、唇にできる水泡に悩ませられていたので、早速、両方とも手に入れて、先日のウォーキングで使ってみました。 効いたかな? と思っていたら、今朝ちょっと水泡のきざしが・・・。 で、紫雲膏塗ってみたらしばらくして収まりました。 予防だけでなく、治療にも効果があるみたいです。

HACにて、カネボーのチューブ入り紫雲膏を、800円ほどで買いました。 UVカットのリップクリームは、ニベアのSPF190のを買いました。

以下引用
「紫雲膏」は、江戸時代の名医・華岡青州が創案した軟膏で、「外科正宗」に収載され、今日まで受け継がれてきた漢方薬の中でも代表的な外用薬です。別名を潤肌膏ともいい、ひびやあかぎれ、しもやけなどの皮膚疾患に適しています。ご家庭の常備薬としておすすめです。医薬品。

成分・分量 本品1gは
トウキ・・・0.08g
シコン・・・0.12g
ゴマ油・・・1.00g
ミツロウ・・・0.30g
豚脂・・・0.03g
より製した軟膏剤です。

効能・効果
ひび、あかぎれ、しもやけ、魚の目、あせも、ただれ、外傷、火傷、痔核による疼痛、肛門裂傷、かぶれ



で、数ヶ月前にコマーシャルで見かけて、買い置きしていた薬、アクチビア軟膏。   久しぶりに出た水ぶくれ、この軟膏で無事、早期に収まりました。

以下引用
アクチビアは、かぜの華・熱の華とも呼ばれる口唇ヘルペスの再発治療薬です。口唇ヘルペス再発のきっかけと対処法をあなたの口唇ヘルペス発症の特徴に沿ってナビゲーションします。

有効成分アシクロビルは弊社が独自に開発したもので、開発した科学者は
ノーベル賞を受賞しています。

口唇ヘルペスは、“かぜの華”、“熱の華”と呼ばれることもあり、
単純ヘルペスウイルスが原因で起こる、唇やそのまわりに小さな水ぶくれが
できる病気です。

単純ヘルペスウイルスは感染力が強く、直接的な接触のほかにウイルスがついた
タオルや食器などを介しても感染します。

ほとんどの人は幼児期にこのウイルスに感染し(症状が出ることは少ない)、
自然治癒しますが、一度感染すると症状はおさまっていてもウイルスがいなくなったわけではなく、三叉神経節に潜伏しつづけます。
潜伏したウイルスは、かぜ、発熱、ストレス、疲労、紫外線などがきっかけとなり再活性化し、再発を繰り返します。 5519


小さな悪魔の背中のくぼみ
新潮文庫、竹内久美子著「小さな悪魔の背中のくぼみ」の読書メモです。 

この本では、血液型の話が面白い。 日本人は、A型、O型、B型、AB型が4,3,2,1の比率です。 血液型で性格判断できるというのは、学問的には相当????なんだそうですが、血液型と免疫力の関係は学問的に色々分かってきているらしい。 癌や結核、梅毒などに対する抵抗力が、O型は強く、A型は弱いんだそうです。 B型、AB型が中立です。 ふたつの話を結びつけると、O型が社交的で、A型が慎重派というのは納得できるかもしれない・・・というのが要旨です。 

ところ変わって、昔ペストが大流行したヨーロッパではA型の比率が、日本より高いそうです。 A型はペストに対する抵抗力が強いので、生存率が高くなったそうです。 そうすると、血液型と性格の関係は日本と違ってくるのかも。 A型のほうが、なにごとにも大胆、積極的だったりして。 

一方、アメリカ先住民の多いペルーなどでは、O型が75パーセントと極端に高いらしい。 これは昔からのアメリカ大陸の風土病である梅毒に強かったためだそうです。 しかしO型はコレラに弱いため、近年のコレラの大流行のときペルーで死者が多数出たそうです。 かたやA型の多いヨーロッパでは、アメリカ大陸からコロンブスが持ち帰った梅毒が大流行したわけです。

血液型は、性格のちょっとした違い以上に大変重要な意味があるということがよくわかりました。
世界の血液型分布  この表で見ると、日本の分布は、ネパールやチベットとよく似ています。 興味深いですね。)

もうひとつ、参考になった記事は、ウィルス進化説の根拠となった研究例を大変わかりやすく書いてあったことです。 全体の論旨を統合する大事な記事です。 

生物の進化で、ウィルスの果たした役割は結構大きいことを説明してます。 もちろんすべての進化をウィルス進化説で説明しようとしているわけではありません。 

真核生物(細胞のなかで遺伝子が核の中に格納されている生物、目にするほとんどすべての生物)のそもそものなりたちが、藻の細胞の中にウィルスが入り込んで、共生する仕組みを作り上げたといわれているのです。 入り込んだウィルスは今私たちの体の中で、エネルギー工場の役割を果たしているミトコンドリアです。(いずれミトコンドリアについてはもうすこし詳しくまとめるつもりです)

15億年前に起こったそのような出来事と似たことは、その後の進化でも、頻繁にあったのではないかというのが、ウィルス進化説です。 もちろんそのような出来事には多くの個体が死滅するという不幸な出来事が付随したことも多いだろうと思いますが・・・。   93



ツールそしてランス・アームストロング讃
トライアスロンは、一名アイアンマンレースと呼ばれ、ハワイのロングディスタンスがその発祥です。 アイアンマン(鉄人)と呼ばれる値打ちはあって、彼ら、彼女らは、スイム4キロ、バイク160キロ、ラン40キロを、一気に走り抜けるのです。 トップランナーでも7時間、アマチュアは、門限の14時間を意識しながら完走を目指すという過酷なレースです。 

でも、ツールドフランスを走り抜ける連中は、それよりはるかにすごいアイアンマン達です。 アルプスや、ピレネーの山岳を登るコースもあるなか、連日150-200キロ、20日掛けて、3300キロを走りぬいてパリに凱旋してくるのです。

そのアイアンマン達のなかでも、今年、ツールで前人未到の6連覇を遂げた、ランス・アームストロングには、特別の思い入れがあります。 まだ、若いのに、その風貌がすごく渋いんです。 東洋の禅僧を思わせる雰囲気で、アメリカ人の典型(?)からは、相当外れて見えます。 優勝したときの笑顔も控えめで、とてもストイックな感じです。

最近、図書館でみつけた、ミラクルトレーニングという本(未知谷)、ランスと、かれのコーチの共著なんですが、ランスの略歴が紹介されていました。 

ん~~、元はトライアスリートだったんだ。 1971年生まれ、高校時代からプロのトライアスリートとして活躍。 17歳からバイクに転向。 21歳で史上最年少で世界戦ロード部門で優勝。 25歳で、睾丸癌となる。 生存率20%以下という状況から、化学治療で復活。 しかし、スポンサーが手を出さず、やっとUSポスタルに入る。 26歳で結婚。 28歳から33歳の今年にかけて、ツールドフランスで、奇跡の前人未到の6連覇。 

バイクでは、ドラフティングが、戦略上とても重要と聞いていましたが、ドラフティングで引いてもらうと、単独のときに比べて体力の消耗が半分くらいになるらしい。 で、チームメンバーは、エース(USポスタルではランス)を、全面的にサポートするという戦略を立てるようです。 ランスは、その優勝賞金は仲間で山分けにするそうです。 

2003年のツール実況では、離婚したと聞きました。 毎日5-6時間のハードトレーニングを続けることと、家庭生活の両立は本人にとっても家族にとっても大変なものだと思います。 彼はまた、がん治療の基金を作ったとも聞きました。

これら、諸々の事情を胸に秘めて、走り続けるランスだからこそ、その姿を見ているだけで、感動が伝わってくるんだと思います。 来年もツールに戻ってくることを祈って、取り溜めしている、2003、2004ツールのビデオを、これからも何回も繰り返して見続けます。

ランス・アームストロング、がんばれ!!!!


初出 2004/12/28
ターザンの体重、体脂肪率
体重は52キロ台に戻りました。

今朝3月12日のデータ
体重 52.4キロ 代謝量 1362
全身体脂肪率 11.0% 体幹 10.8% 脚 9.5% 腕 11.8%
BMI 18.8 内臓脂肪 7 体年齢 34才



3月8日のデータ
体重 53.5キロ 基礎代謝量 1379
全身体脂肪率 11.5% 体幹 11.4% 脚 10.3% 腕 11.8%
BMI 19.2 内臓脂肪 6 体年齢 36才


書くだけダイエット、を意識して

食事量。 朝食からあまり時間がたたないで摂る昼食は軽いメニューにする。 どうしても昼食が重くなったときは、夕食を軽くするようにしましょう。

朝食に、にんじんジュースを摂って、新陳代謝を良好に保つ

椅子に足掛けBN体操で、適度な運動量と、新陳代謝の改善を図る。




平成20年5月の平均値 (データ数30))[関連したBlog]
体重 55.5キロ 基礎代謝量 1399 
全身体脂肪率 14.5% 体幹 14.8% 脚 13.0% 腕 15.1% 
BMI 19.9 内臓脂肪 7.1 体年齢 39.1才


平成18年1-9月の平均値 (データ数10)
体重 58.9キロ 基礎代謝量 1441 
全身体脂肪率 18.2% 体幹 19.6% 脚 15.7% 腕 19.1% 
BMI 21.1 内臓脂肪 8.9 体年齢 43.1才


プレブログ、プレBNのころ、つまり現役の最後の10年くらいの体重の記録があります。 これは、定期検診で、年1、2回計測した記録です。 定年1年前、59歳のときの64.4キロが体重最大値です。 このときからの体重の減少は、10キロ近くになります。 
 
48歳 63.0キロ、 49歳春 63.5キロ
 テニスもしばらくまえにやめてしまい、最も運動不足の頃でした。 この直後から、それではならじとスポーツクラブに行き始め、さらにトライアスロンに挑戦をします。

49歳秋 62.0キロ、 52歳 62.0キロ、 53歳 62.0キロ、 54歳 62.5キロ、 55歳 62.6キロ
トライアスロン、最長はハーフでした。 朝5時から泳ぎ始めて、ハーフマラソンの距離を走り終えたのは、昼過ぎでした。

57歳 62.5キロ、 59歳 64.4キロ、 
定年一年前が最重量のターザンでした。 運動もあまりやらず、週に2、3回は飲んでましたから。。。

61歳 60.0キロ
定年から、体重はさがり始めました。 81 


やっけたんでぃがーたんでぃ にへーでーひるおかげさま だんだんだんだん よーしたよーした~~~
こんなのどうでしょうか。

                     たいへん きのどく たえがたい

                     ごちそーごちそー かたじけない

                     ちょーじょ ごねんがいりました

                     どーもえがった ほんじねもっけ 

やっけたんでぃがーたんでぃ にへーでーびるおかげさま だんだんだんだん よーしたよーした~~~

                     ありがとありがとおおきにおおきに 
   
                     おおきにおおきにありがとありがと

                     ありがとありがとおおきにおおきに
    
                     おおきにおおきにありがとありがと

やっけたんでぃがーたんでぃ にへーでーびるおかげさま だんだんだんだん よーしたよーした~~~


これを、ヒップホップに乗せて、ラップ調でやってみたい。




ありがとうの方言マップを見つけました
で、みなさんからちょっと聞きたいことが・・・・・・

関東で、「ありがとう」という言葉、関西の地のことばだと、「おおきに」っていうと記憶しています。  「多きにお世話になってありがとうございます」という感じのことばだと思います。

昔の言葉だと、武士の「かたじけない」なんていうのがあるんでしょうか。  語源はどんな意味合いから来ているのかよくわかりませんが・・・・・・・

で、皆さんの地方では、なんていうのか・・・・・   コメントいろいろの方から頂けるとありがたい、「おおきに」なんですが。   かくいう私は、兵庫県神戸の出身で、「おおきに」の世界だったんです。


ネット調査をしてみました。  ありましたね。  ずいぶんと立派な調査データが見つかりました。  国立国語研究所が作ったものらしいです。

PDFの図版が載っています。    ありがとうの方言マップ

おおきに、の分布は、意外と広いんですね。  昔の首都圏の言葉だから、当然ということでしょうか。

そういえば、朝ドラの「だんだん」も、島根の「ありがとう」でしたね。

実は、このありがとうの方言をいくつかならべて、歌をつくってみたいと思っています。  いつになるかわかりませんが・・・・・。

えっ、それ日本語ですか???といいたいような言葉もありますね・・・・・・。





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。